第66話 記される史実


プラムの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちていた。
彼女に付き添うライムは、自分がどうすべきなのか結論が出せないまま横に居る。
断片的に伝え聞いただけで曖昧ながらも、何となくの状況は把握した。
プラムの姉が、先代の女神であること。
現女神と結託して、天界の根幹を揺るがそうとしていること。
詳しい事は知らないし、難しい事も分からない。
けれど、そんな事はどうでもいい。
目の前の少女が、唯一の肉親の事で心を痛めている。
それをどうにかしたい、それだけで精一杯だ。

「せっかく、会えたのに……」

嗚咽の合間に漏れた呟きが、ライムの心に波を立てる。
気付けば半ば衝動的に、プラムの両肩を掴んでいた。

「大丈夫、僕がついててあげるから。だから、泣くな!」
「…………!」

赤く腫れあがったプラムの瞳が、驚きに見開かれた。
その両目からは、透明の雫が未だ流れ落ちていく。

「ライム君……」
「大丈夫。大変な事なんて、何も起きない。皆すぐに帰って来るよ。
だから信じて待つんだ。僕が、隣に居てあげるからさ」
「ライム君…………ありがとう」

かすかに、プラムが微笑んだ。
次の瞬間、ふとその意識が途切れる。
恐らく泣き疲れたのだろう。
慌ててその身体を受け止めると、ライムは願いを込める様に呟いた。

「マゼンタ姉……ちゃんと先代、連れて帰って来てよね……」





「大変ですのね。歴史調査官って」

すらすらと書かれていく文字を目で追って、ビスクは言う。
視線の先ではミントが今回の件を簡単にまとめている。
これも天界の史実として、記録される事になるらしい。
おそらく、一般の者では閲覧できない極秘資料となるだろう事は必須だが。
先代の、例の事件のように。

「ビスク。貴方こそ、大変では無いの? またひとつ、重要な機密を護る事になるのよ」
「ひとつ増えた所で大して変わりませんわ。今まで通り、厳重に管理するだけですもの」
「それもそうね」

そんな会話を交わす間も、筆を持つミントの手は止まらない。
その手が、不意に止まる。
疑問に思う様に首を傾げたビスクに対し、ミントは静かに問い掛ける。

「……ビスク。貴方、これからも此処で働くつもりなの?」
「ええ、何も問題ありませんわ。私は今でも、充分に幸せですもの。
当たり前の様に天使になる事を目指していましたけれど、先代の件を知って考えが変わりました。
天使になる事だけが、幸せではないと気付いたんです。わたくし、此処の仕事が好きなんですの。
貴方が仕事を誇りに思う様に、私も図書資料館という場所を誇りに思っているんですもの」
「そう。どうやら愚問、だったようね」
「そうですわ。これからも、わたくしは貴方の相棒なんでしてよ?」
「そうね。その為にも、平穏に事が済む事を祈るしかないわね」
「ええ……本当に」

不意に足音に気付き、ふたりは揃って視線を向ける。
それはライムだった。
ひとりでいる所を見ると、プラムは落ち着いたのだろう。
落ち着かない様子のライムに、ミントが優しく問う。

「プラムは、大丈夫?」
「うん。今は泣き疲れて寝てる」
「わたくし、貴方も皆さんを追って飛んでいくかと思ってましたわ」
「まさか。僕に出来るのはただ見守る事。そして、皆さんの帰りを待つ事だけ。
何も出来る事なんてないし、それに……プラムの傍に居てやるって決めたんだ」
「まぁ……素敵ですわ!」

キラキラと目を輝かせ始めたビスクに、ミントが溜息を吐く。

「ビスク……今はそんな事に喜んでいる状況じゃないのよ?」
「わ、分かってますわ!」

慌てる様に反論したビスクは、小さく息を吐いた。
そうしてライムに向けて穏やかに微笑む。

「待ちましょう。きっと……皆さん無事に帰って来てくれますわ」

それが、彼らの帰りを待つ者達の願いだった。



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